とうとう二○○○年がやってきた。
これまでに人類は驚異的な技術革新を進めることができた。
医療の世界でもさまざまな進歩により、以前より早期に病気の診断や治療ができるようになってきている。
最新精密機械の導入、コンピューター化された患者管理が進み、癌の早期発見、早期治療や、生活習慣病の原因究明、予防についても多くのことがわかってきた。
最近は遺伝子組み換えによる、新しい治療も注目を浴びている。
その一方で、医師と患者さんの、人間と人間の相互関係も変わりつつある。
昔は医師は先生然として話し、患者さんは話を伺うような関係にあった。
私が医師になったばかりの頃でも、そのように話をしたのを覚えている。
しかし、時代の流れとともにその関係は変わりつつある。
理想的な関係は、医師が多くの情報を提供して、患者さんが治療方法を選び、互いに協力しあって病いと戦っていくべきであろう。
しかし、未だ封建社会のごとく医療を進めることもあり、ちょっとした行き違いから、さまざまな問題が起きているのも事実である。
ここは、現在の医療の問題点を、医師と患者さんの人間関係に焦点をあてて明確にしようと試みたものである。
また、今後の医療が進むべき方向性も私なりに考察してみた。
多くの方、とくに手術を受けられる患者さんに読んでいただいて、前向きに医療に向かっていただければ、この上ない喜びである。
大病院で発生している医療事故は何故起こるか手術の患者が入れ替わってしまったのは何故?最近、とんでもないような医療ミスが相次いで報道されています。
そしてその多くが、比較的大きな病院で起きているのです。
平成十年に、Y大病院で起きた、肺の患者さんと心臓の患者さんの手術を取り違えて行なってしまった事件は、みなさんの記憶にも新しいと思います。
予定では肺の手術をするはずの患者さんに心臓の手術を行ない、一方、心臓の手術をしなければならない患者さんに肺の手術をしてしまったのです。
こんな、目も当てられないような事故がなぜ起きたのか?どうして二人の患者さんは入れ替わってしまったのか?また、本来予定していた肺の病気や心臓の病気の手術はどうなるのだろうか?間違った手術を受けたことで、悪い作用はないのだろうか?さまざまな疑問が湧き起こりました。
しかも、これが大都会にある大学病院で起きたことなので、多くの人に疑問と医療体制に対する不信をもたらしたに違いありません。
いろいろなニュースを聞いているうちに、この事故の原因は、やはり大学病院の医療体制にあると思われました。
それはどうして、こんな事故が発生したのかを考えてみましょう。
大病院の手術に直接かかわるのは、大きく分けると病棟看護婦、手術室の担当看護婦、麻酔科医、外科医の四つのパートとなります。
一般に、患者さんの担当医が手術の日程を決めると、これらのパートがそれぞれの働きをします。
まず、手術前日に「術前訪問」といって、さまざまなミスが重なると事故が発生する。
まさに大病院の盲点を浮き彫りにしているとしか言えません。
この事故の背景はいろいろ考えられます。
それは、おもに大病院のベルトコンベアー式の「分業体制」に起因していると考えられます。
現代の大病院での医療は、高度な工業製品を作るのと同じように、ひとつのシステムとして機能しています。
したがって、コンピュータのプログラムのように、ちょっとした小さなミスがあると、結果としては予想もつかないような重大事故に結びつく可能性が大きいのです。
術室の担当看護婦が病棟の患者さんを訪れます。
手術室の説明や麻酔、手術についての簡単な説明をするためです。
また、担当麻酔医も麻酔方法についての説明と患者さんの全身の機能をチェックするために、直接患者さんに面会します。
この時、麻酔の説明を受けましたというような意味の誓約書を書かせる病院もあります。
手術の当日は病棟の看護婦が患者さんを手術室へ連れて行き、「頑張って下さい」と励まして送り出します。
そして、手術室の担当看護婦に患者さんの全身状態や予定されている手術術式などについて確認して、引き継ぎを行ないます(これを申し送りと言います)。
その後、手術室の担当看護婦が、患者さんを手術室の中へ連れて行きます。
そこで、手術前に直接面会した担当麻酔医が、ご本人と確認した上で麻酔をかけます。
そして、担当外科医が現れて手術が始まるというのが通常の手順です。
Y大病院の事故が起こった日は、一人の病棟看護婦が二人の患者さんを、手術室まで連れていきました。
そこで、心臓外科担当の看護婦と、呼吸器外科担当の看護婦に申し送りをし、その時に患者さんが入れかわってしまったと報道されました。
通常は一人の看護婦が一人の患者さんを申し送りするのですが、病棟の朝の仕事は多忙をきわめていたためか、あるいは、日常的に行なわれることかはわかりませんが、手術室への患者さんの搬送を一人で行なうことになったようです。
ただしこの時点で入れかわったとしても、申し送りを受けた看護婦二人のうち、どちらかが気がつけば、事故は起こらなかったでしょう。
さらに、手術は二つの手術室で行なわれたと考えられますので、手術の前に面会している麻酔医が二人いた可能性があります。
偶然、いなかったとしても、担当麻酔医は二人はいたはずです。
この麻酔医たちが、なぜ患者さんが担当患者さんと違うことに気がつかなかったのでしょうか。
麻酔をかける前に、患者さんの名前を呼んで確認するのは当然ですし、確認を怠ることは考えられません。
ところが、患者さんは手術前には鎮静剤がうたれており、意識がうつろな状態で手術室へ来ます。
麻酔医が本人に名前の確認をしようとしても、患者さんがそれを聞き逃したり、いいかげんな返答しかできないことは、多々あります。
このような場合、麻酔医が患者さんの顔をしっかり覚えていて、確認できればこの事故は防ぐことができたはずです。
ところで、麻酔についてみると、大病院では麻酔はオーベン(通例五年以上のベテラン医)とウンテン(まだ経験の浅い医師)が二人一組でかけることが多いのです。
そして、たいていの場合はオーベンの指導のもとでウンテンが麻酔をかけます。
私も過去に三千件以上の麻酔をかけてきましたが、ウンテンの頃は「麻酔は一歩間違えれば命にかかわるぞ!」と先輩によく驚かされました。
そう言われれば、経験の浅いウンテンは首尾よく麻酔をかけられるだろうかと、極度の緊張状態にあります。
とくに大学病院の麻酔科には、まだ麻酔を始めたばかりという不慣れな医師が、担当することが多いようです。
彼らのほとんどは、うまく麻酔のためのチューブを気管内へ入れられるだろうかというところに関心があることが多いのです。
したがって、患者さんの顔をしっかり覚えていなければ、患者さんが入れ替わっていることに気がつかない可能性もおおいにあります。
しかし最終的にメスを握る担当の外科医が気がつけば、ことなきを得るわけですが、なぜ主治医や担当執刀医が気がつかなかったのでしょうか?それは外科医もまた非常にハードなスケジュールであった可能性があります。
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